ゼニくればばあ

小銭を稼ぎたい

外山合宿に行ってきたことを思い出した

意気込み

 後の自分が見返して楽しく読めるものを書くぞー

本文

 タイトル通りであるけれど、まず内容に入る前段階の話をば少し。合宿参加者の方々はいろいろなバックグラウンドがあって、皆さんそれぞれに素晴らしいと思うのだけれど、そのような来歴を可能にしていることまで遡って考えて行き着く通り、だいたいがブルジョワジーであって、出身地に多少のばらつきはあれど何かしら活動するなりまっすぐの道を歩かない選択をされた方達であって、それはもうこのあたりのクラスタというかシンパというかの太さはきっと他と段違いであるのだけれど、その中で原義的な太さ、王道性を兼ね備えたのが私であるということについては了解されたし。そのような自分の経歴と、あとはこの関連で出会った方々への愛着と敬意と遠慮によって生じる保守性によって、誰かに阿るために何かを書くなんてできないのであるから、見る人の気分を害さないかとか今後の自分にとって幾分不利益を生じないかということがずっと頭に浮かんで、逃げ腰の折衷案ではあるが外山合宿の語を除くとか検索避けにⱶ ャマガ⊃ =ノュ勹を使おうかとかいろいろ悩んだけれども、全く怪しいばかりであった政治史勉強会への参加を決めた当時の自分に悖らぬよう、ままよとやってしまおうと思う。もし気に障ったらいくらでも頭を下げるので言ってくだされば。黙ってるのが一番道義に反する。

 自分が参加したのは昨年の晩夏で、今から半年は軽く前のことだけど、別段今になって思い出したことには特に深い理由はなく、当時は参加を決めるために多少事前にレポートを読んで情報収集していたので時間的余裕があったら自分も今後参加したいと思っている人間のために何か残せたらくらいに思っていたのが、持ち前の怠惰さになって今まで引き伸ばされたというだけで、ちょうど先刻この春に開催されていたn期の方のレポートの存在を認めたのでそれを契機に思い出したというわけである。それにちょうど春休みで暇だし、他の参加者が終わってすぐ、まだ冷め切らない興奮と情熱から書きやがるから、逆張り・冷笑大好きオタクとして今書くことに価値を見出さないわけがなかった。

 合宿での住生活環境等行った人間が皆等しく経験することの情報はもう既にあることだし、自分が書くまでもない無価値なものだと思っており仮に合宿が終わってすぐ体験記を仕上げたとしても省いていたので記さない。

上の言の証拠

合宿を最上位の価値のものとして崇め奉る意味ではないけど、やはりそれがそれぞれの参加者にとって受け取られる仕方はどれをとっても同じであるはずがないので。

 

 上のようなメモをとったなと思ってアプリを見てみると存外(自分にとって)面白いことがいくつもあったので、ラインを遥かに飛び越えていないようなものをいくつか拾いつつ当時の自分が経験した合宿を振り返ってみる。まだお互いぎこちなかった初日のことで多分他の参加者は気がついていないし覚えてもいないだろうが、就寝場所を決めることになった時、集団がバラバラになって何も決まってないままなあなあになってしまうのが嫌だった自分がさっさと各人の割り当てを決めてしまおうと急かして、誓って不正はなかったし邪な気持ちもなかったが、自分が一人個人スペース(台所の裏の本棚の間)を獲得したので、わりかし周りに合わせない気ままな行動が出来、覚書がそれなりに残っているという事情である。

 云々の体質というのは持病の話だけれど、きっとこの書きぶりからみるに自分にとって都合のいいことを何かしたのだと思う。(追記. みんなが楽しそうに夜更かししてる中自分だけ体調を考慮してさっさと寝た次の日、寝不足を訴えたかダウンしていたかの同期を見て書いたのじゃないかと思い出した。ちょうど昼食時だし。)流石に他人に害を与えるようなことは出来ないだろうけど、それでも自分だけいい思いをするのは道徳的に自分の中で葛藤があって、自戒か懺悔かの現れなのかもしれない。この合宿が他の合宿一般と大きく異なる点の一つに、赤の他人(それも大勢)との共同生活を強いられるという部分があるが、先に話した持病が遠因でありもして自分はこれまでにその類を避けがちでいて、久々の体験だった。別に自分が殊更真面目だというのではなくて、自分のルールがある程度固まったら軌道修正するのが難しい不器用な人間だというので、こうやればもう少し暮らしやすいかもしれないと考え浮かぶとそれが離れないでいたが、外山合宿に(それも自分が)秩序をもたらすことはまずもって不似合いであるし、それに他の参加者をルールに従わせるという関係のうちに置きたくなかったために最初からしないと決め込んでいたのもあって、その板挟みに少々苦労した。そのようなコンテクストを踏まえて、自分の行動というものと向き合って捉えようとしているのが文末のクエスチョンマークに現れているのじゃないかと思う。

 今思い返す限りでは自分でない、実際に寝不足でノックアウトして倒れているのもいたし、諸般の事情により斃れているのもいた。そして自分は先の意味ではどちらにも当てはまらなかった。しかし少し斟酌するならば、2月25.26頃と3月10日ごろに受けた精神的ショックの影響で入眠困難中途覚醒にそれまで悩まされていたことと、いつもの大好きな自分一人の寝床よりも寝付きやすいものはないこととのために、眠気はあって疲れもあるのに中途覚醒というようなのが合宿中何度かあって、このメモを書いたのも午前3時であるし、体調は優れていなかった。持病もやや調子が悪いくらいだったと記憶している。そのほか注視するのは個人主義と資本という言葉で、資本という選択はルサンチマンによるものか、自分への慰めか。個人主義の方はもしかすると批判的意図があったかもしれないが、当時の状況を詳しく思い出せない今見てみると、各人が個人主義と見られるような行動をとりながらも一つの生活が営まれていたという紛れもない事実が非常に興味深く映る。自分が参加した時点で31期で、これまでに幾度もこんなギリギリの綱渡りが行われていたというのには感慨深いものがある。

 前のメモから日付が少し戻る。これは合宿で一番楽しい深夜に同期とワイワイやった後の時間帯に、うまくコミュニケーションができなくて悲しんでいる自分。使えそうなのがないかと眺めていたら今なお改善できていないことに気がついて面白かったので掲載。きっと後に見返すことがあればその際にも治ってるわけがないと思う。話しかけることもできず、相手の話を繋げることもできないというのは純粋に面白いし、それと同時に失意の中その両欠点に気付き言語化できたのは意外とすごい。

 ここ数年のマイブームで自己探求とか進路考察とか現状否認とかを好き好んでやっている。正直言って自信がないのであまり哲学という不確定なワードを用いたくないが、とりあえず上では最初の方が論理的思考様式を意味していて、後の方はそれらの集成を学術的に研究する営みのことを指している。この合宿でどんな話をしたかについては、それぞれの個人情報以外では断片的にほんの僅かほどしか覚えてないが、見る限り根源を探求する思考について話していたようで、このメモの文言自体は口に出さなかったが、人の話を聞いてか自分の考えを口に出してか何かに気がついて書き残した。正直文末の なあ というのは恥ずかしい。

 これは調べたところ最終日で、それもこの時間には自分はもう帰宅の途で外山邸にいなかった。合宿の最後に各自感想を述べるターンがあって、その時にはまだ浮かんでこなかったことだったが、本当に全て終わった後にふと、合宿の序盤で考えていた疑問への答えのようなものが浮かんだ。哲学というものの紹介は最小限にとどめたい(その理由も省略する)が、その存在はこれから死ぬまでの期間自分にとっては大きな問題で、そしていやらしいことに解決への手立てなど全く見えないものだった。この考え自体が直接の解答たり得てはいないけれど、その道筋みたいなものが見え、またその道筋に立った時、ちゃんと自分が見据えていた哲学がそこから見えたことには感動せずにいられなかった。ちなみに一つ前の合宿序盤でのメモに出てくる需要という言葉が、ちゃんと伏線として実学的視点というものに収斂されていく部分も美しくて、間違いないのだと確かめる材料の一つとなった。

 先で区切りがよく見えるものだけど、最後は合宿中盤のこのメモを載せる。野暮な説明をすると、合宿で扱う左翼運動史、教養強化合宿主催外山恒一、外山合宿31期それぞれに前と後ろとがあって、連続する流れの中に位置している。時に義理と人情にあふれ時に思想に実直であった運動家か、正しく道を踏み外す若者を育てる外山さんかの中に見出したのか、はたまた自分の役割を覚ったのかは定かではないけど、合宿についてのうまい具合のまとめの言葉じゃないかと思う。