声優をいくつか集めてアイドルみたいにして売り出そうかというのはずっと前からあった。というかアイドルだなんてたいそうなとこまでいかなくとも、深夜アニメが始まったあたりからもう流れはあって、キャラクターソングを現実に披露するとなったら、それはアイドルと変わらないようなことになる。キャラクターの声からさらに、その人格という面を程度の差はあれ受け継ぎつつ、だから当然相応しい程度のおめかしをして、あと適当に踊ってみたりもする。一番わかりやすい話で言えばSOS団って言えばいいんだろうけど、それより前からもあったし、あえて『北へ。』でも挙げてもいいかもしれない。こうくるともはやアイドルってなんだってことになりかねないけど、そこに熱狂さえあればいいということにもなろうか。
それで流れな流れて、wake up girlsとかいうものがかつてあった。コンテンツの濁流でもうその跡なんかもなにも残ってないけど、さいきん(といってもわたしはアニメもうみてないからなんのことだかは分かってない)でいえばぼざろの青山吉能がまだ耐えてる。彼女が熊本から出てきている女子高生だったころ、wugのリーダーをやってた。もとはアニメのオーディションなのかアイドルのオーディションだか、声優のオーディションだかなんだかわかんない選抜があって、その辺のメディアプロジェクトが同時に走って独自の地位という以外の形容がないところでもあった。そのころは声優というのがまだアニメでキャラクターを演じている時代であったし、それはまともなアニメがあってこそありえたものでも、まともな視聴者がいてことありえたことでもあるのではあるが、まあいいや。だからその独自の地位というのはいってしまえば何ものでもなかったということでもあるのだけど。田中美海はなんか聞いたことがある程度ではあったけどほかは自称というレベルであったし、オリジナルプロジェクトのアニメも盛り上がっているほどでもない、評判も聞かない(よくもわるくも盛り上がって長生きしているラブライブとは違って)。ただ見てないまでも監督があのヤマカンで楽曲がMONACAという情報は目に入っており、パンドラの箱といった様相であった。MONACAでいえばヤマカンと大学時代からの付き合いの神前暁もいるのだし、クオリティはそれこそ神だろう。そのほかにも、というかこれがまた後世では良くも悪くもという形容が登場しないといけなくなる田中秀和もいて、ことwugにあっては実はこっちのほうがエースであった。ほかにも広川岡部高橋といった面々の作曲陣は豪華というほかない、あいわかった。それで作詞はというと、ヤマカンの別名義のほか、只野菜摘がほとんど、畑亜貴も藤林聖子もいる。これも垂涎もの。
楽曲がこれまた神なのは確定されているうえで、wugの最高傑作として挙げたいのは、豪華な作詞家を抑えて、wake up girls自身が書いたもの。恋で愛でもスキノスキルも16歳のアガペーもそれぞれの完成度から永遠に残り続ける曲だ。それでもwake up girlsとかいう奇妙なグループが実はその内実としてとんでもないものを秘めていたのだということを遺すのは、この『Polaris』をおいてほかにない。
曲の話をするのに、というより田中秀和の曲の話をするのに私たちができる語りなんてのはない。どんなものであれ彼の数分の作品より饒舌に世界を語り上げるものはないの。だからここですでに片手落ちではあるけども、それでもaugがなんとかいうよりは遥かに語るべき7人のアイドルがいたのだから、こんな言葉がある理由になろうか。
青山がリーダーだという話はしたが、彼女のイメージカラーは水色に近い青。このグループには彼女ではないセンターがいる。イメージカラーは赤、逸材吉岡茉祐である。彼女の話はそれだけで語り尽くせないほどであるが、とりあえずはこの『Polaris』も彼女を中心にしていると理解されればよろしい。あるいはいってよければこの彼女こそが北極星なのだと。
曲はスローテンポに始まる。7人だからこその華麗な振り付けというのも外せない魅力なのだが、優美なポジションチェンジとともに、各メンバーの歌唱がクローズアップされてゆく。彼女ら自身が作詞しているのだから、さながら一人一人の言葉が紡がれていくかのよう。
Twinkle starから始まるこの歌は、しかしAメロに入ることろで田中秀和が一息のうちに巧みにに照明を落として、闇、不安、黒といったイメージにより形容されていく。それでもメロディは辛気臭くなならない。というのもwugはこの『Polaris』を最後の輝きとするかのようにその後幕を閉じるからだ。当然別れの歌という意味が付与されるし、そのうえ思い出を振り返りつつ感謝を述べる歌にもなる。
その歌は「ボク」と「君」をめぐる話として展開する。アイドルグループなのだから当然「君」に愛を伝える歌はいくらかある。けれどもこの「君」はそんな水準ではない。一人一人のパート歌唱を経た後では、これがメンバー間における「ボク」と「君」に変質している。これまでの様々な記憶を背負った歌なのだから、歌詞のそれぞれに深い感情の揺れ動きが潜んでいる。いかに彼女らが顔を見合わせては幸せを噛み締めているか、ライブ映像を見ればよくわかる。その意味でもこれはまったくもって彼女ら自身の曲なのである。
それを最も強く印象付ける一説がある。
『君と夢を語って お揃いのシュシュつけて』
こんなことで明示的に語られている内容は胡散臭い。ただ本当に夢は語ってないだろうし本当にお揃いのシュシュは付けてないだろうけども、等身大で特に真新しいことが何かできるわけでもない女の子たちの有り様がうまく捉えられているフレーズである。それぞれに輝く部分はあるのだが、彼女らはべつに特別すごい部分を持ち寄って輝くようなものでもない。むしろごく普通で素直で等身大のさまというのがアニメから通じで描かれていたものであろうし(もちろん未視聴である)、グループとしての活動を通じて見せてきたものであった。なにものでもないということは別段今もいるような他のアイドルとなんら変わりがないが、なにものでもないままでいられたのは彼女らにしかなかった。彼女らはなにものでもなかったから、頑張ったのだ。それで頑張ったけども爆発的に売れるほどにもならなかった、それでも7人の世界というものを手に入れることができて、それはグループが解散した今でも生きている(10周年記念の特番を見るべし)。彼女たちはお揃いのシュシュをつけて、別にそのシュシュで変身したり魔法を使ったりするわけじゃないけども、お揃いでステージに立つ。ただそれだけで良かったことが、wugの最大の武器であった。
それまで目立つことなかった吉岡が、二番のサビ後から遂に活躍する。「ボク」と「君」が「ボクら」となったあと、その願いが込められた北極星のお出まし、ということになろうか。ペンラが瞬時に色づくというのは『snow halation』と同じ景色だが、μ’sほどのあれやこれやは、ない。彼女らはアニメキャラなどとは無関係の、等身大の少女たちなのだから。それでもーーー
吉岡茉祐は北極星である。他のメンバーもその場にいる観客たちも、すべてが彼女を軸にして位置付けられる。田中秀和という宇宙が作り出した茫漠たる暗黒のなか、彼女が世界の中心で、そのほかはすべてが彼女のためのものでしかない。Cメロの独唱はまさしく彼女にしか歌えないパートで、力強く温かで、恵みとして届く。
北極星は『満点の星空』を用意する。そしてーーー彼女は北極星を降りるのだ。だってwugの一員だから。7人でwugであるから。自らも動く星となって、そして束の間の邂逅は終わり、みなもとの軌道へついたのだ。